戯言と一緒に、色んな写真をペタリ。

スポーツテスト対策として長距離サイクリングを励行中の管理人ですが、ただ二子玉川まで行って帰って来るのも気が滅入るので東急大井町線へ。
一番手っ取り早い所ということで等々力駅へ向かったのですが、写真に写っているようにメートル数が書かれた看板が設置されていてガン萎え。
8590系は初めて撮影出来たので良かったですが。
昨年7月の同じ場所での写真です。直線・障害物少量・順光の3つが揃っていたそこそこ良い撮影地でした。
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”東急大井町線 2nd”のつづきはこちら


私が1年前から思っている事。
「人を嫌う」こととは、一体どのような概念の下で成り立っているのか。
ちょっと更新頻度が下がる前に、書いておきたいと思います。
そもそも、人を嫌うのは何が原因なのでしょうか。
多くの人が深く意識をせず、あいつは○○だから嫌いだ、とかあいつの○○なとこが嫌なんだ、とか思っておられることでしょう。
そしてその大元の原因は、ほぼ認識されないまま時が過ぎてしまいます。
どうしてでしょうか。
人を嫌う事には、2通りのパターンが存在すると私は考えます。
1つは「常軌を逸した行動への嫌悪」。これは一般常識・一般教養の成っていない人、また常識的に見ておかしい人が標的になります。例えば突然授業中に奇声を上げたり、共有物を破壊したりといった一般的な感性の持ち主ならやらない事をした場合、それから何かと性格がねじ曲がっていて人に迷惑を掛けてばかりの場合に起きます。
こちらの場合、多くの人間が同じ物差し、すなわち「一般常識」で物事を見ているという状況が加味される為、大人数対特定人物といった構図になり易く、いわゆる「クラスの厄介者」のような嫌われ方になります。
そのため比較的嫌われる理由が明確であるのが特徴ですが、このようなケースに陥った場合かなりの確率でイジメに発展するので危険性が高いのです。
もう1つは「自分の価値観に合わないことへの嫌悪」。
上記の「常識~」よりこのケースの方が圧倒的に多いのではないでしょうか。というより、誰が誰を嫌いだという話の場合、ほぼ100%の確率で当てはまるのがこちらです。
この場合の標的は人々の価値観、すなわち思想・信条に大きく左右される為、嫌われる理由は万人が納得する物ではない事が多いのが特徴です。
以上のことから、嫌悪感情は嫌う側の価値観に依存する為具体例を挙げるのは難しいのですが、私の場合で例えると「根暗」だとか言われる人たちが標的になります。また個々の感情に依存するという特性上、1対1または取り巻き対1といった小規模な構図で終わるのがよくあるパターンです。
つまり、皆さんが常日頃から抱く「嫌い」という感情は、自らの価値観という実態のハッキリしない物から出ているから原因を認識出来ないのです。
常識外れの人間に対して抱く「嫌い」という感情は、ある一定人数の間で通じる「物差し」、要するに「一般的にやって良い事と悪い事」という道徳的概念の上で成り立つので意識しやすい。しかし自分の価値観に反する事からの「嫌い」という感情は、その自分の感じ方というのが人それぞれなので、その感じ方に慣れてしまっている自分自身では感覚がマヒして意識できないのです。
今でも多くの教員や親御さんが「人を嫌うな、仲良くしろ。」とお子様に教唆なさる方もいらっしゃるでしょうが、人を嫌うなというのは100%無茶な話で、人間に心情という物が有る限り人を嫌うという動作はずっと続くのです。
だから誰かが私の事を嫌いと言っても、それに成す術は有りません。むしろ勝手にどうぞとしか言いようが無いのです。人を嫌うという行動が各々の考え方に大きく依存する以上、対処法は何もないのですから。
「人を嫌う」こととは、一体どのような概念の下で成り立っているのか。
ちょっと更新頻度が下がる前に、書いておきたいと思います。
そもそも、人を嫌うのは何が原因なのでしょうか。
多くの人が深く意識をせず、あいつは○○だから嫌いだ、とかあいつの○○なとこが嫌なんだ、とか思っておられることでしょう。
そしてその大元の原因は、ほぼ認識されないまま時が過ぎてしまいます。
どうしてでしょうか。
人を嫌う事には、2通りのパターンが存在すると私は考えます。
1つは「常軌を逸した行動への嫌悪」。これは一般常識・一般教養の成っていない人、また常識的に見ておかしい人が標的になります。例えば突然授業中に奇声を上げたり、共有物を破壊したりといった一般的な感性の持ち主ならやらない事をした場合、それから何かと性格がねじ曲がっていて人に迷惑を掛けてばかりの場合に起きます。
こちらの場合、多くの人間が同じ物差し、すなわち「一般常識」で物事を見ているという状況が加味される為、大人数対特定人物といった構図になり易く、いわゆる「クラスの厄介者」のような嫌われ方になります。
そのため比較的嫌われる理由が明確であるのが特徴ですが、このようなケースに陥った場合かなりの確率でイジメに発展するので危険性が高いのです。
もう1つは「自分の価値観に合わないことへの嫌悪」。
上記の「常識~」よりこのケースの方が圧倒的に多いのではないでしょうか。というより、誰が誰を嫌いだという話の場合、ほぼ100%の確率で当てはまるのがこちらです。
この場合の標的は人々の価値観、すなわち思想・信条に大きく左右される為、嫌われる理由は万人が納得する物ではない事が多いのが特徴です。
以上のことから、嫌悪感情は嫌う側の価値観に依存する為具体例を挙げるのは難しいのですが、私の場合で例えると「根暗」だとか言われる人たちが標的になります。また個々の感情に依存するという特性上、1対1または取り巻き対1といった小規模な構図で終わるのがよくあるパターンです。
つまり、皆さんが常日頃から抱く「嫌い」という感情は、自らの価値観という実態のハッキリしない物から出ているから原因を認識出来ないのです。
常識外れの人間に対して抱く「嫌い」という感情は、ある一定人数の間で通じる「物差し」、要するに「一般的にやって良い事と悪い事」という道徳的概念の上で成り立つので意識しやすい。しかし自分の価値観に反する事からの「嫌い」という感情は、その自分の感じ方というのが人それぞれなので、その感じ方に慣れてしまっている自分自身では感覚がマヒして意識できないのです。
今でも多くの教員や親御さんが「人を嫌うな、仲良くしろ。」とお子様に教唆なさる方もいらっしゃるでしょうが、人を嫌うなというのは100%無茶な話で、人間に心情という物が有る限り人を嫌うという動作はずっと続くのです。
だから誰かが私の事を嫌いと言っても、それに成す術は有りません。むしろ勝手にどうぞとしか言いようが無いのです。人を嫌うという行動が各々の考え方に大きく依存する以上、対処法は何もないのですから。






今年の桜の季節も終わりを迎え始めました。
桜を見ながら、これからの1年間、一体どうやって生活していくべきかずっと考えていた管理人。何だかんだ言って結局惰性で過ごした高1までから脱却して、今年からは大学生へ向けて少しずつ下準備をしていかなければなりません。
我がクラスは最初はイカツい奴ばっかだなと思っていましたが、実はその連中も大学進学に向けて少しずつ意識改革をしているようなので、そろそろ私も本気を出さなければならなくなってきたようです。
今年からは去年までのように遊んでばっかりではなく、しっかり勉強をして日商簿記2級とTOEIC600点以上をとって、更に定期評価の成績も底上げしようかと思っています。高校生活を楽しめっていう連中には申し訳ないですが、今進路について本気で悩んでいるので。
余談ですが、4月11日に「西武新宿線ミニレポート」の前身の「新宿線ミニレポ」が記事公開開始から3周年を迎えました。
一番最初の記事は、奇しくも今新宿線を走っている2451Fの代走記事でした。


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2009年12月19日
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